人を動かす

資本主義における自由

資本主義における自由とは何だろう。もちろん好き勝手に人のものを破壊しても良いという話ではない。

ここでの「自由」とは、契約自由のことである。人間と人間は好きな契約を結んで良い。基本的に契約内容に極端な偏りがない限り、その内容は自由である。

だから、極端な話、「1円で1年間働く」という契約を結んでも構わない。それは当人同士の自由である。当事者同士がお互いに納得していれば、どんな契約でも結んで良いのだ。


人を動かす、動いて頂く

ここで重要なのは「納得」「共感」だ。正論ばかり言ってもどうにもならない。人を動かす、というのは意外に難しく、気持ち的には「拝み倒すとやっと動き始めて頂ける」くらいの認識が正しいのだと思う。

動き始めたら、あの手この手でモチベーションを維持させてもらう。ナメられてもダメ、威張り散らかしてもダメ、ともかく難しい。相手によっても、ちょっとずつ違う。

ただ、勘所はあって、品質の根本に関わる部分をちょっとやり過ぎくらいの感じで確認するのだ。プログラムならバグりやすいところや、記法で難しいところがあるので、そこを徹底的に確認する。もちろん自分にちゃんとした軸(技術や能力、知識)があることは大前提。その軸でもって実物を、自分の目と手で徹底して確認する。

致命的な不具合は必ずやり直ししてもらう。ここで遠慮は必要ない。だって契約(約束)だから。中途半端な優しさは命取りになる。大口取引の前には小さい取引を事前に積み重ね、品質基準を満たさない会社との取引は避ける。

品質に関わらない末節の部分は、拝み倒して気持ちよく働いて頂く。

お客様にも頼み込み、動いて頂く。良い仕事をしてお客様の心を掴むことができれば、何とお金を払っている立場のお客様にも動いて頂くことができる。

究極的に、人を動かす、人に教えて頂く、助けてもらうのが経営者の仕事だと最近は思うのだ。

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カテゴリー: 経営

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