人、資本主義、そして株

資本主義

元来、この世界では全員が経営者であった。家を建てる人、料理をする人、服を作る人など。

やがて村の人口が増えると、経営者同士で競争が起きる。競争の下では、より良いサービスを提供する者が多くの資源を獲得できる。

この競争が激化すると、やがてこの熾烈な競争社会の中で生き残る能力がない人が出てくる。例えば、パン屋さんに新規参入する20代の人には、どの競合よりも美味しいパンを焼く能力が求められる。パン屋さんが村に100件あれば、下位70件くらいは生き残れない。

そこで、相対的に能力が低い70人のパン屋さんは、小麦を納めるなど別の仕事に就くか、優秀な残り30件のパン屋さんで働くことになる。後者は労働者と呼ばれるものである。

さて、パン屋さんの中に、とびきり優秀な能力を持った人がいて、残りのパン屋さんが全部不要になってしまうくらい魅力的なパン屋さんが村に一軒あったとしよう。このとき、独占・寡占と呼ばれる現象が起き、優秀なパン屋さんが資源を独占してしまう。

優秀なパン屋さんは自分で使いきれないくらい多くの資源(畑など)を持っているので、この一部を貸し出すことができる。このように自らの資源の一部を他者の生産活動に貸し出す者が投資家と呼ばれる者である。

ここで、資源を独占することで他者に資源を分け与えず、自分だけ得しようとする人が出てくる。そこで現代では国家なる仕組みで独占を矯正することが出来る。国家とは民意の総体で、全員の利害関係を(時には強制的な強い力も使って)調整する。

すなわち、資源を分配する者こそが投資家であり、行き過ぎた富の独占と分散を制御するのが国家である。国家はその対価として税を受け取っている。

この世界観で資本主義とは、より優れた能力を持つものが報われるという自然の競争の摂理を取り入れたものである。そして、それを媒介するのが資本(お金や資源など)である。

※ 資本主義における学者は非常に特殊な例外的職業なので、一旦無視して良い


投資家

資本主義においては、能力ある人の方が強い。この能力というのが曲者で、例えば誠実さや「パンを焼く上手さ」などの属人的な強さだけでなく、「より多くお金を持っている」などの属性的な強さも含まれる。資本主義では、たくさんお金を持っているということも優秀な能力の一つと判定されるのである。

多く富を持つ者は資本主義ゲームにおいて有利である。例えば裁定取引と呼ばれる取引を行うと、自分は一切リスクを取らないで生き残るために十分なお金を稼ぐことができる。

裁定取引の例
(これを1兆円とかいう規模でやるので、数百億円規模の利益が出る)

基本的に、富を多く持つ者(投資家)は負けないのが資本主義なのである。

しかし、大資本を持った投資家が負け、罪を課される(=資本を失う)こともある。それは、誤った箇所に、正しくない量の資源を配分した場合である。

例えば、

・「俺に1千万円預けてくれれば、来年10億円にして返しますから」などと言い、寄ってきた者に1千万円渡してしまった。もちろん、これは詐欺で相手には逃げられた。

・資本金が10万円しかない電力会社を設立したものの、初期投資すら出来ずランニングコストを2~3ヶ月分払って倒産。

などの場合である。前者は誤った箇所に、後者は正しくない量の資源を配分した場合だ。

資本家の仕事は富の正しい配分である

このように考えると、お金持ちの仕事とは資源を正しい場所に正しい量分配することだ。お金持ちである投資家は資源の分配者であり、資本主義を監視する存在といえる。

正しい資源の配分を行った者には、より多くの富がもたらされる。このようにして、資本主義の監視者である投資家自身も評価される。現代では投資において賢者だけが勝ち続けられるのである。


資本主義では売り手がいる限り、なんでも資本で買うことができる。その一種が会社(経営者+労働者+システム)の所有権そのものである。この所有権を株と呼ぶ。

元々は航海においてリスクを分散するために作られた仕組みなのだが、今は航海以外にもこの仕組みが広く適用されている。

原始的な株式会社の例
(複数人でリスクを分散)

制度が発明された当初より、現代の分散すべき事業リスク(船が遭難等)は低い。むしろ近年では、経営者の資質とか計画力みたいな部分のリスクの比重が大きい。

資本主義では富の分配こそが投資家の重要な役目であるから、当然ながらこの会社そのものの単位で、投資すべき会社とそうでない会社が存在する。

誰も表立っては言わないのだが、この世界には金持ちほど誠実で、貧乏人ほど不誠実という事実がある。具体例は、別の記事(若いうちから貧乏人を避け、お金持ちと付き合うべきという不都合な真実)が分かりやすい。

ただしこの事実には例外があって、対象が若い人や会社の場合だ。これは資本主義駆け出しだから仕方がない。しかし、そこから徐々に差が開いて行くのである。

実態は金持ちほど誠実で、貧乏人ほど不誠実である

会社とは人の総体である以上、投資すべきでない会社が明確に存在することは書いておこう。貧乏人の特徴について触れておくと

・約束を守らない、嘘をつく
・言い訳をする
・目先の利益、自分だけの利益優先
・人任せ、無責任
・国語力が低い
・数字に弱い
・怠惰で努力が出来ない、勉強しない
・諦めが早く継続力がない
・決断力がない

などがある。このような会社や人に投資してはならないのは当然である。

富を得る

そのうえで、投資とは富の配分が正しく、自らが賢いことを競うことである。その意味で、投資家が利益を得る瞬間は3種類しかない。

・会社の業績が長期的に成長し、株価も向上していく場合
(十分な競争優位性があれば、業績はインフレを基調に売上高↑+原価↓で緩やかに成長する)
・会社が急速に信頼を失って会社の価値が滅失する場合
(上場廃止、食中毒、重度の法律違反等)
・なんらかの理由があり、みんなの行動が偏る場合

最後の「なんらかの理由があってみんなの行動が偏る場合」とは例えば、
・INDEX組入れで株価が上がる
・仕手株、投機的行為で株価が乱高下する
・震災で株価が下がる
・金融不安で株価が下がる
・行政処分を受ける
などの場合である。このほかにもたくさんの理由があるだろう。ただし、株価は長期的には業績に連動するので、これらのような材料でポジションをクローズする取引は長期の時間軸では優位性がない。

さて、株にはいつも売り手と買い手がいて、株で利益を上げるということは、自分よりも愚かなプレイヤーから株を買って、誰かに売ることである。あるいは逆でも良い。

人が愚かになる瞬間というのは、例えばどこかの銀行が経営破綻して、市場参加者が一斉に焦ったり、恐怖に駆られたりして株を投げ出して逃げようとしている瞬間が分かりやすい。あるいはこれ程分かりやすい状況でなくとも、もしもちょっとした「間違い」を見つければ、それは十分に他人よりも賢いということになる。

すなわち、投資とは賢さを比べる道具なのである。

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カテゴリー: 投資

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