言っていることよりも行動

言っていることよりも、やっていること

優しい言葉や口先だけの甘い態度はいらない。言っていることよりも、やっていることを見ること。

思わせぶりな態度やうわべの気遣いよりも、その人がやっていることが真実。


誰にでも優しいということは、誰にも優しくないということ

そういう人いますね。
誰にでも優しい、誰にでも愛想がいい。
普通ある程度付き合いが深まれば意見がぶつかることありますよね。
でも人と争うのが面倒だからスルーっと逃げちゃう。
自分の意見を言わない。
そして表面的に愛想よく付き合う。
そういう人を見ると 「この人は自分以外の人間に興味ないんだな。」 と思います。

知恵袋

本当の優しさ、弱い心が人生のどん底で襲いかかってきた試練かなと思う。

本当に愛しているものを守る強い心、大切なものを大切にする強さ、自己責任で決めて行動する勇気。「自分だけ助かりたい」「自分だけ安全なら」「自分だけ失敗しないならやりたい」っていう甘い考えは絶対に救われない。

災害とかタイミング、初期ステータスを人のせいにするのは違うんじゃないかな。地震、津波、火事、泥棒、そういうのは全部自分の責任。自由を求めるということは、つまりそういうこと。

全てはコントローラブルなものであって、機会をものにできなかった自分が悪い。言い方は悪いんだけど、僕は常に雑魚側の立場で「雑魚は死ね」という重圧に晒されながら一生懸命に生きている。


教育とは、教わり育つこと

これは後輩の女の子を見ていて気付いたこと。教育というのは、つまり自分で気付いて育つことだ。

何かを与え過ぎてしまうことは、きっと正しい関係じゃない。彼女はたまたま僕から多くを学ぶ時期だった。だとすれば、僕がしてあげられることは、なるべく長く傍にいさせてあげることだけだ。

彼女と僕が対等になれることは、多分ない。なぜなら持っているものがあまりにも違いすぎるから。

そして彼女がうまく行かないのは、多分「人に嫌われることが怖いから」だと思う。尽くすということは、自信がないことの表れだ。あと言葉の力が少ないこと。よく喋るかどうかとは違う。つまり、言われてもやれないのだ。

そして、成功したいのは良いのだけど、成功の先に何を求めるかが見えてこない。自分なりの哲学がない。自分を支える哲学という軸がないとも言える。

ちなみに、ぼくが過去にうまく行かなかった理由を一言で言うと「失敗することが怖かったから」。そして、ゴール付近の調査が甘かったから。失敗が怖いなら、成功の一歩手前まで全部を徹底的に詰めないとダメだ。

失敗を怖がっているのに、行動では失敗する余地を残している。これは意味が分からない。最後、一か八かではダメなのだ。もし失敗したくないならね。

逆にうまく行った理由は「やめなかったから」。下手くそなりに下手くそで全力でやったから。失敗しながらも体当たりで粉々になり続けたから。そうして情報力が付いてきた。


臆病者であれ

つまり、燃えるような目標を打ち立てる勇気、石橋を叩いて渡る緻密さ、的確に意図を伝えるコミュニケーション。最後までやめない強烈な意志力。これこそがうまく行く秘訣だと思う。

さて、彼女は僕が振ったのだけど、一応形では僕が振られたことになっている。「恋愛的な好き」と「尊敬の好き」が曖昧なのは嫌だから「あなたのことが好き」っていう伝え方で線を引いた。

結果的に「好き」という気持ちに「尊敬の好き」というラベルを貼った。僕は人間の本能に抗い、勝った。

僕はもうドキドキの恋愛はいいかな。安心できて、人を愛せる生活がいい。タイミングなんて嘘。彼女より結婚相手、自立してお互いの生活を良くできるパートナーが欲しい。

彼女との間は近いようで、たぶんまだ離れている。人生経験の厚さが違う。彼女はまだ人生のどん底を経験していない。華々しい功績の裏にどれほどつらい思いがあったか、どんなに地道な日々の積み重ねがあったか。

彼女は気持ちにラベルを付け、人生を学んだ。僕は教育を学び、そして的確なコミュニケーションと異性について、経験を得た。

重なるところは少ないけれど、得るものが多い出会いだと思う。

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カテゴリー: 人間

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